読みにくい「歴史仮名」は、神社の拘りが原因

私を含め、殆どの若い人が違和感を持っていると思います。


人権擁護法案メールマガジンより

>(VIPまとめより)
>旧仮名遣いは本で読むときはよいのですが、画面で見るとイライラします。

http://www.jinja.co.jp/kana-kantan01.html

・昔の文章を後世に伝える為には、 「歴史仮名」が必要。
・「現代仮名は文法意識の抹殺である」

といった神社側の主張は、正しく、理に叶っています。


が、事情を知らない不特定多数の人に向けて、「歴史仮名」の文章を書き続けていては、
一目見るだけで、文章そのものが敬遠され、「ウヨ」というレッテルを貼られて終わりです。


例えば、西尾幹二氏あたりは、平易な現代仮名で書かれているので、ある程度、敷居が低い。
この点、小堀桂一郎氏や長谷川三千子氏の戦い方では、読者の幅を狭めてしまいます。



彼らは、手順を間違えているのです。

・先ずは、「国語界」と「教育界」を啓蒙・奪還し、「歴史仮名」の教育を復活・徹底させる。

・国民の「歴史仮名識字率」が100%に近くなってから、新聞や雑誌などで普通に使う。

という風に、無理の無い計画で段階を踏めば、上手く行くでしょう。
普及するまでは、現代仮名で戦うしか、ありません。


「国民の大多数が「歴史仮名」を読み書き出来るまでに回復している」という前提条件の無いまま、
いきなりブログのコメントに歴史仮名で降臨しても、傍目には「ウヨ坊」としか映りません>河内屋蒼湖堂様