ムアコックネタの視点から比較――『GATE』>>>『ケイオスドラゴン 赤竜戦役』


ケイオスドラゴン1話のヒロインが死ぬ場面は、
マイクル・ムアコックの代表作「エルリック・サーガ③ 白き狼の宿命」の、
サイモリルが死ぬシーンを、考え無しにパクった劣化コピーであると云われています。


一方、『GATE』の、現代兵器がファンタジー世界の軍勢を蹂躙する、というモチーフは、
シリーズの核である「エレコーゼ・サーガ① 永遠のチャンピオン」に出て来ます。

これは、個人的に一番好きな巻で、久し振りに読み返すと、
ムアコックの持つ「キリスト教への反感」は、
一神教文明的な価値観に対する反感であるようにも思えました。

メルニボネ、ヴァドハー、エルドレン、カマルグなど
エターナル・チャンピオン・シリーズにおける「善の軍勢」は
いずれも、多神教的な価値観を持っていて、
例えば、『逝きし世の光景』に出て来る日本人像に似ています。

中世の一神教的な人類を野蛮な侵略者として描き、
衰退して穏やかな文明人を善として描いていることは、シリーズに共通する特徴です。



「十億年の宴」前後の、ファンタジー小説の隆盛期を築いた作家達の作品には、
人々の意識が健全だった時代のダイナミズムがありました。

が、2000年以降の現在の作家達、
暴走する人権思想と一神教的価値観の中で育ってきた作家達は、
人間性やダイナミズムに欠けています。
小太刀右京氏も、そんな不健全な、性根のいじけた作家の一人なのでしょう。
そのような「まがい物」の作品に囲まれて育って来る現在の子供達は、もっと不幸です。

そんな現在の日本の「中二病」作家達が、
ムアコックのいくつかの主張のうち、
「反エピック」の部分だけを見て酔い痴れ拡大再生産しています。

そしてその、ごく一部のマニア向けで一般娯楽性の極めて低い「中二病作家の自慰行為」が、
TVメディアに乗ってしまっている。

それらの駄作からは、SF小説の本来の主題である「人間性の回復」などは、すっぽりと抜け落ちています。