finalvent氏なる49歳のオッサンには、gori氏に似た雰囲気がある。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/02/post_6cc4.html

>ほいで日本語とやらの重要性。これが皆目わからん、とまでは言わないが、
>人は置かれた環境のなかで十分に言語活動をするものではないか。それだけのことではないか。
>敬語が廃れるのはそれが不要な人間関係の社会になったからというだけで、言葉の側の問題ではない。

こうした「時代に流されることを肯定的に捕らえる人々」が、日本人のDQN化を進めてしまいました。
「あるがままを受け入れて流される」ことは、間違いです。
悪い流れを裏で作っている勢力に思いを巡らせることが、大切です。


日本語の重要性とは、
「農耕民族の美徳の再生」「国内の治安と生産力の上昇」
といった意味合いです。

戦後、狩猟民族的な嗜好が称揚され、農耕民族的な美徳が蔑まれることによって、
社会全体の崩壊が進んで来た。


また、言葉は「誰か」ではありません。
その「誰か」を育んだ環境の全てを指します。
日本語の場合は、日本的な美徳が築いた社会と環境の全てを指します。
どれほどの名言を遺した偉人でも、人の子であることは変わりません。