保守派が「〜でしょうか?」という「受け手に考えさせる問いかけ」を使えない理由

保守派の結論は常に、普遍性に基づく一つである。左翼は攪乱が目的なので、結論が無数にある。



以前某所で、
左翼は、「〜でしょうか?」といった疑問形の文体を使って、受け手に考えさせるのが上手い。
何故保守派ははそれが出来ないのか、といったお話がありました。



その理由は、保守の本質にあります。

保守の本質とは、様々な地域の共同体あるいは国家を、普遍的な法則や価値観で結束させ運営すること……
です。

例えば道徳教育、人格教育、国体と政体の維持、地理的条件や気候等に基づく民族性や伝統文化、
正しい男女観や家族観……
「全体として」最大多数の幸福度が増加する結論は、常に一つです。複数の解はありません。
ですから、保守思想の結論は、突き詰めれば「ひとつ」になるので、そこに議論の余地は無い。


保守派には、体制を維持する義務がある。普遍的な概念を、地勢に合わせて反映させる。
普遍的なものは常に一つなので、変わることが無い。だから、同じ結論を連呼するしかない。
だから飽きやすい。保守運動に持続力が無い理由は、
同じ結論を繰り返す行為が単調で飽き易いからです。

このような事情から、保守派の構成員は、あまり自分では物を考えていない、
ただ鵜呑みにしているだけの信者、といった印象が強い。
主に新興宗教などの「善人、お人好し」によって、現代の保守派は構成され、
宗教以外の構成員も、一見、宗教的な単細胞に見えることが多い。

実際そういう人も多いですが、「一つの結論」に自分の思考で辿り着いた人は、逆に、
何者をも寄せ付けない最強の論者に成り得ます。例えば吉田松陰はその最たる例の一人でしょう。


そうした、「普遍性に基づく一つの結論」を広める為に、保守派は多くの説明を必要とします。
インターネット上でも、保守派には長文を書く人が多く、例えばツイッターのような、
短い文章で情報を素早く広く拡散する媒体には向いていないので、正しい情報が拡散しにくい。
(例えば憲法改正の拡散は未だに遅れていて、9条の会が幅を利かせる原因になっています)



一方の左翼は多彩です。

左翼の目的は、様々な地域の共同体あるいは国家を、「多様化」の名の下に細かく分解して、
最終的には、人々を個人単位で支配することにあります。
ですから、左翼思想に「普遍性に基づく結論」は無く、常に攻撃と破壊と細分化のみを目的とした
主張や法案等の形で出てきています。

左翼が、「〜でしょうか?」といった疑問系で、受け手に考えさせる方法を取れる理由は、
結論が一つである必要が無いからで、むしろその方が、個々人にバラバラな結論を出させて
人間社会をバラバラにする、という目的に合致しています。
場をかき乱して混乱させ、事態を複雑化させた方が、左翼の収入源増加になるという側面もあります。

日本に限れば、体制に対する撹乱と混乱が目的で、沖縄のようにゴネて補助金を吊り上げる、
という程度の低次元な目的しかありません。
何故なら、日本の左翼の殆どは、自分たちが攻撃している体制が絶対に壊れないと思い込んでいるからです。
結論は一つではなく、いくらでも変化し得る。だから飽きることが無い。



現在は、
人類の普遍的な営みを尊ぶのが保守
家族をバラバラに分解して個人単位での管理社会を目指すのが左翼
……という構図になっています。