分かる人には分かり切っている話でしょうが、一応。
先月の集会の際、
最後のシュプレヒコールと万歳三唱の場面で、元軍人の方が威勢良く音頭を取っていましたが、
正直私はうんざりしました。
そこで壇上の西尾氏を見てみると、必ずしも乗り気では無いように見えました。
むしろ、厭々パフォーマンスをしているようにさえ、見えました。
その姿が、私には、
何故、こんなところで、こんなことをやっているのか?
何故、「右翼の頭領」のような見られ方をしているのだろう。
自分は、ただ、当たり前のことを言い続けているだけなのに。
といった疑問を投げかけられているようにさえ、見えました。
批判者達の浅はかな考えとは違って、西尾氏は、国粋主義に凝り固まっている訳では無いのでしょう。
本質が文学者であれば、理論よりも情緒が優先される筈です。私がそうであるように。
つくる会の「自由史観」という教え方自体が、極めてリベラル的な物なのだから。
私が西尾氏を最高と書いた裏の理由は、そこにあります。
全て私の勝手な推測ですが、あの姿には共感出来た。