岩田温氏や新田均氏は、教条主義者の典型例。

http://nishiokanji.com/blog/2006/05/post_320.html

あきんど氏の「迷い」論は、良い文ではありますが、少し足りない部分があると思いました。

「迷いの無い人」が形作られるパターンは、3通りあります。



1つめの理由は、
・プライベートが、物理的、あるいは精神的に「切迫」していること。

この典型例は、私です。
最近のネット保守の人には、結構居ると思います。

生死の境にある人間には、「迷い」は発生しません。
生存の為に、最短距離を全速力で駆け抜けます。障害物は、命がけで粉砕します。

この場合、物心両面に余裕が出来れば、「迷い」の生じる余裕が出来ます。



2つめは、
・個人的に切迫していなくても、同種の危機意識を共有出来ていること。

これは、ネット保守の大多数を形成していて、
人権擁護法案VIPスレの住人」などに該当します。
若さや、知識の少なさ等が原因で、最短距離を突っ走れるのです。

この場合、多量の本を読む等の行動に走れば、循環思考に傾いて「迷い」が生じます。



そして、最後のパターンは、
・宗教に入信する等で「思考停止」している場合
です。

新田氏の文章には、直接的で「迷い」が無い。教条的とさえ言えます。
岩田氏や早瀬氏の、ガチガチガンコな文章に似ている。


>私たちの行動に「薄気味悪さ」を感じられたのだとしたら、
>それは自立した個人が正義感に基づて覚悟ある行動をとり、
>それが自然に一致するなどということを信じる用意が先生の側になかったためだと思います。

このあたりが、特に薄気味悪いです。


「あまり強張ったレトリックが多いと、説得力が落ちる」という、
文章作成における良い失敗例を、新田均先生は示して下さいました。


本当に西尾氏と藤岡氏だけが悪いのならば、
他の多くの理事達は、これまで何をしていたのか、ということになります。
只のジジイ2人に逆らえずに、ポチと成り果てていた、と、馬鹿にされ続ける。

そうした、新田均氏のような「ヘタレ理事」だけが残ったところで、
西尾2世のような人物が敵側に1人でもいれば、
簡単に圧殺されてしまうことは、疑いありません。

逆に、性格的に多少問題があろうと、「強力な牽引車」、
西尾幹二氏のような馬力のある牽引車がいれば、組織は栄えます。



「一頭の獅子 に率いられた羊の群れは、一頭の羊に率いられた獅子の群れを駆逐する」
という言葉を、全ての人々が覚えておくべきです。