「ゲーム民主主義」

私のゲーム業界論に対する姿勢を一言で表現すと、「ゲーム民主主義者」となります。


私は、2005年の5月に、DSを入手しました。
それ以前に、任天堂関連のハードやソフトを、一度も手にしたことは、ありません。

小学校の頃はゲームセンターに通い、
家庭用ゲーム機の時代になってからは、MSX歴が約7年。
MSX時代は任天堂の企業独占に対して、常に敵対する姿勢でいました。

MSX陣営の崩壊後、セガハード歴が大体7年程度で、
セガが事実上倒産した2001年以降は、家庭用ゲームそのものからの撤退を余儀なくされました。


現在まで一貫している思想は「ゲーム民主主義」とでも形容すべき考え方です。

それは
・プラットフォームホルダー1社による企業独占は、腐敗の温床となる
・消費者の利益が損なわれないよう、メーカーへの注視が常に必要
といったもので、

特にロイヤリティーフリーのMSX規格は、当時理想的な民主主義規格とさえ思われました。
が、その頃は、任天堂が9割のシェアを欲しい侭にしていたので、
任天堂は極悪な存在、ゲーム民主主義の敵であったのです。


良く、「欲しいゲームがあれば良い」「ゲームの出来が良ければ、他はどうでもいい」
等という主張がありますが、それは誤りです。

ハードメーカーは、単に出来の良いゲームを作れば良い、というものではありません。

中古問題やサポート・価格等のユーザーへの姿勢、またソフトメーカーへの対応など、
総合的に、全ての政策が良心的でなければならないのです。


今、劇的な改心を遂げた任天堂が、絶対悪と化したSCEを駆逐しつつあります。
暫くは、無尽蔵に近い資金を持つ任天堂マイクロソフトの二社体制が続くでしょう。
が、何時か、そのどちらかが、また腐敗しないとも限りません。

米国式の「飽きたから返品する」といった極端な考え方までは不要ですが、
日本のユーザーにも、ユーザーの権利を含めた「市場に参加している」という当事者意識が必要で、
それは、インターネットの普及によって、以前より着実に向上して来ています。