「ポケモンスタンプラリー」

今年も、ポケモンスタンプラリーが行われていました。
http://www.jreast.co.jp/pokemon-rally/

ピカチュウのサンバイザーを付けた子供を、あちこちで見かけました。
例年見ていて、少しずつ参加者が減っているようにも見えますが、
JRと任天堂による磐石の利権体制は、相変わらず強力な収益を上げているようです。



松居和氏の『21世紀の子育て』の一節を思い出しました。

>「ダンボに乗って」

>なぜ、ダンボの行列が一番長いのだろう、と私は考え始めました。
>夏の熱い太陽の下で家内と二人で次女の手を握り、じっと待っている自分の心境を考えました。
>(略)
>そして待っている人のほとんどが、幼児を連れた大人です。
>ダンボは乗り物としての特徴よりもキャラクターが幼児を轢きつけるのでしょう。
>たぶん、幼児はダンボのビデオを繰り返し見ているのでしょう。

>そう考えると、ここに並んでいるのは、ビデオに子守りをさせていた親たちの罰ゲームかもしれない、
>と思いました。

>(略)

>幼児が「ダンボ!」と言ったら、「ダンボ」です。
>それを違う方向へ説得するのはなかなか難しい。私の場合もそうでした。
>三歳児が言う「ダンボ!」に、大人の理屈は通用しません。
>大人は拒否するか、我慢するしかないのです。
>(略)
>三歳になる次女も、自分が乗りたい物に乗るために、一時間待つと言うのです。
>車に乗ると十分もすれば「まだ着かないの〜」とたずねる子が、
>自分の決めたダンボのために、黙って待っているのです。

>親子で一緒に我慢することを覚えるためにダンボはいるんだ、と私は考えます。
>それならこれはとても社会に役立つ道具だ、そう思って、
>頭上をノホホンと回っている十数匹のダンボをあらためて見上げます。

>(略)

>子供の為に我慢した大人たちの幸福感、
>私は日本で親や保育者に講演する度にこのことについて話すわけですが、
>このダンボは何十年にもわたって実際にそれを運び続けているのです。
>それを教え続けてきたのです。ただくるくるまわるだけで……

>(略)

>ダンボは子育ての凝縮された姿なのかもしれません。



同じ目的のために、親と子が同じ時間を過ごして、共に苦しんで我慢する。
子供に連れられて首都圏の駅を巡る親達は、子供への関心を失っていません。



任天堂は少なからず、日本の子育てに貢献しているのかもしれません。