ゲーム機は政治思想を体現する国是

ゲームハード自体の支持者を揶揄する目的で
「ハードに執着するな。欲しいソフトの出るゲーム機を買え」
といった主張が良く聞かれますが、これは完全な正論ではありません。

何故なら、ハードは単なる道具では無く、
プラットフォームホルダーの(ゲームに対する)思想を体現しているからです。

更には、あるべきユーザー像やゲーム市場のグランドデザインといった、
世界観や国家観をも示唆している、
ゲーム政治思想のマニフェスト、国体、国是とも言うべき、極めて重要な存在なのです。


ソフトの特性はハードに左右されます。
同じタイトルでも、別の機種に移植されたら、たとえデータ部分が全く同じだったとしても、
ハードの特性やハード陣営の哲学が違うので、全くの別物になるのです。

例えば、同じバイオハザードでも、別の機種に出れば、
それはそれぞれ独立したオリジナルタイトルであって、完全に同じ物では無い。

ですから、良識あるゲーム国民は、
それぞれが信じるゲーム思想の為にハードメーカーを選ぶべきです。


例えば360は、ハードに「米国」の精神性が込められているので、
米国のゲーム機に世界を征服されると、
日本的な日本ゲーム文化が衰退させられることになります。
既にその兆候は現れていて、敗戦後60年、欧米型自由主義に冒された
日本人の精神性は崩壊しかかっています。