女性の社会進出が家庭崩壊の原因だった――松居和先生の著作より

本日の産経新聞教育欄に、松居和先生(尺八奏者、埼玉県教育委員)の講演会の告知が載っていました。

保守業界の登壇者の中では、一、二を争うほど面白い話をされるので、お勧めです。


..●教育講演会
【演題】松居和「子育ては親育て」
【日時】10月18日(土)14:00〜
【場所】町田市民ホール1F会議室
【会費】500円
【連絡】日本会議町田支部042−728−6901


..●教育講演会
【演題】松居和「健全な社会は健全な家庭愛から−子育て、親育て−」
【日時】10月19日(日)14:00〜
【場所】世田谷区立太子堂区民センター第1会議室
【会費】1000円
【連絡】日本会議世田谷・目黒支部03−3476−5652



今回は、「女性の社会進出」に関連した文章を、著書から一部引用して紹介します。



>女性の社会進出は強者の幸福論に行き着く

>冷静に考えれば、国際化、グローバリゼーションという言葉が、
>欧米流競争社会に日本を引き込む強者の策略であることが見えてくる。


>「女性の社会進出」という言葉も強者の幸福論に行き着く。
>欧州人がアメリカ先住民を征服した手法を思い出して欲しい。
>彼らはインディアンたちに土地の所有、権利と言う概念を「学校」を使って教えようとした。
>欲と不満(不安)を植え付け、それをエネルギーに競争者を増やして行くのが資本主義の方法だからだ。
>待機児童は解消しようとすればするほど増えてゆく。
>親心を否定する方向へ動く幸福論の書き換えは、子育てをイライラの原因に変える。
>少子化対策も現時点では欧米並みに女性を働かせようという経済学者の増税対策でしか無い。
>これでは将来刑務所をいくつ作っても追いつかなくなる。
>孤児院で子供を育てよう、ということになりかねない。

>(『親心の喪失』235p)



>競争社会に直接参加する機会が少なく、出産・授乳という男性には出来ない体験をし、
>男性よりも具体的な子育てに関わってきた女性達は、祈ることを知っているので、
>今まで比較的狂う確率が少なかった。それが女性の「個性」です。
>しかし、「女性の社会進出・社会参加」という言葉を使って、女性の個性を否定し、
>幸福の物差しを社会における競争に意図的に向ければ、
>越えられない壁を無理に越えようとすることで男女間の不満は一層つのり、
>その不満はやがて女性虐待という不自然な人間関係となって噴き出してきます。


>欧米的価値観に捕らわれ「自由にのびのびと」という言葉を人生において実現しようとしたなら、
>競争に勝たねばならない。「自由にのびのびと」できる地位は勝ち取るものだからです。
>精神的に「自由にのびのび」する、という方向まで高度な目標にはなっていない。
>日本人は比較的この精神世界の自由という概念を理解して来たのですが、
>最近の「女性の社会進出=生き生きとした女性」といった欧米的発想の輸入は、
>日本人の幸福感を低次元な方向へ根本から変えようしています。

>(『21世紀の子育て』103p)



>「女性の社会進出」。よく考えるとかなり詐欺的な言い方です。
>「社会」という言葉のあやふやさに巧妙な仕掛けがあるのです。
>ここで言う「社会」と「家庭」の間の境界線を見た者はいません。
>夫婦で農業をやっている人や、自宅で商店を営んでいる一家にとって、
>そんな境界線は意識もしない、見えもしない。

>いままで女性は社会にいなかったとしたら、いったいどこにいたのでしょう。

>(『21世紀の子育て』167p)



>この「女性の社会進出」という言葉の危険なところは、
>家で子育てをしている女性は、社会の一部ではないというニュアンスが強く含まれているところです。
>そこに論点そのもの、使用目的があるのです。

>「社会人」という言葉が示すように、日本には経済活動をする人間関係を「社会」と呼び、
>経済的に自立している人を「社会人」と呼びたがる歴史があります。

>しかし、注意しなければいけないことは、
>同時に「人間社会」という意味で使われる社会があって、
>この二つの違った概念の日本独特の混同が、家庭崩壊と女性の権利の問題を直結させているということです。

>「社会人」でなければ一人前ではない、という言い方が、
>経済活動をしていなければ人間ではない、というニュアンスで女性達に向けられているのです。
>いま、日本で語られる「女性の社会進出」は、「社会進出」ではなくて、
>「会社進出」、または「経済競争への参画」です。
>それをわざわざ曖昧な「社会」という言葉を使って、巧妙に、
>家庭や子育てを見下そう、ないがしろにしようという意図が見て取れるから腹が立つのです。


>「経済競争」が「社会」だと言うことは人類にとって危険な幸福論の書き換えに外なりません。


>経済活動に参加していないと一人前の人間と見なさない。経済的に「自立」していないと幸せではない、
>という方向に世論が少しずつ動いてきています。
>その結果生まれたのが、この「女性の社会進出」という言葉です。
>これに、「人権」というややこしい言葉が絡み、
>「自己実現」などという禅宗の坊さんさえひっくり返りそうな単語が加わると、
>「社会進出」していない女性は人間ではないみたいに思えてくるのです。
>これはもう完全な言葉のトリックです。


>最近の学者とか政治家は「人間社会」を見ずに、「経済活動」を見がちです。
>数字で計れるものでないと実感出来ないのでしょう。
>そして、幸福を「ものさしの選択」という次元で考えずに、
>人権とか民主主義、平等という権利や利権の次元で考えてしまう。
>すると、働いていないから輝いていない、競争に参加していないから不幸な人生という
>競争社会の論理が優先し、それが母親達にまで伝染する。
>砂場で遊ぶ幼児達から人間達の目が離れ、時間に追われ
>そこに落ちている「幸福のものさし」が見えなくなる。
>幼児が、足かせ、イライラの原因になって、母親が幼児を傷つけ始めた時、
>我々は取り返しのつかない曲がり角を曲がってしまうのです。


>厚生省の言う、安心して子供が産める環境づくりは、やがて安心して離婚出来る環境づくりに発展し、
>気楽に離婚が出来る環境づくりに行き着くのです。

>(『21世紀の子育て』168p)



>多くの人間、特に女性達が欲望や野心に幸福感を見出すようになったら、
>これはもう殺伐とした社会になってしまいます。
>繰り返しますが、女性が野心を持つことを否定しているのでは無いのです。
>そういう人がいてもいいのです。いて自然なのです。
>しかし競争社会において全員が勝つことが不可能であり、
>競争に負ける人間がいるから少数の勝者が生まれるのだ、という図式を考える時、
>競争社会への女性の参加を国やマスコミをあげて宣伝することはないと思うのです。


>「家庭」が幻想になったら、人類は滅亡です。
>家庭に置ける幸福感を「幻想」と捕らえるのは、女性学者の不自然で不幸な人生観の産物なのです。

>(『21世紀の子育て』238p)



私は、社会が許容出来る「女性の野心家」は、せいぜい1000人に1人程度と考えています。
それも「増えない方が良いマイノリティーである」という認識が社会通念となっていることが大前提です。
しかし、現在は、女性の野心家を美化したプロパガンダが、
教育機関やメディアによって、日夜行われています。

許容範囲を超えた多数の女性が「女性の崇高な使命」を捨てて野心に走れば、人類社会は確実に崩壊します。
北斗の拳のような殺伐とした実力世界で、年齢性別による差別の無い「自由で公正な」殺し合いが始まります。
例えば、児童虐待やDVが増えるという形で現れています。

何故なら「社会進出した女性」は最早「男が守るべき可愛い存在」では無く、
「日々の糧食をかけて命がけで戦う互角の敵」になるからです。
男女が憎しみ合わない為には、女性が「社会進出(経済競争への参画)」してはいけないのです。


大多数の女性が、権力欲に走らず女性として生きることを快く選べる環境があれば、社会が安定します。
(例えば、配偶者特定控除の復活は最優先事項です)