渡邉允氏の講演に行きました。未だに粗末な女系推進論を主張していた。

外務省36年宮内庁18年……と、渡邉允氏は典型的な官僚で 物腰は上品ですが、内容的には
今上陛下の傍にいたことを利用して保守系の公演行脚をする俗物……という印象でした。

「血の一滴よりも、陛下の行いを身近で見てきたことの方が重要」などと、
一部の保守派が陥りがちな「徳治主義」的な物の見方を、巧みに転用していました。


また「男系か女系かは、その時の社会情勢がそうしただけ」といった主張からは、
女系推進派の拠り所が「女権化・フェミニズム化した現在の社会情勢」であることが、
再確認出来ました。

男系派保守の大部分は、皇統と女権を切り分けて論じようとしていますが、
大衆レベル、一億人の全国民の理解と同意を得る為には、女権=左翼との全面対決は避けられません。

何故なら、左翼の究極の攻撃対象が、皇統断絶による国体破壊だからです。


語り口も穏やかな老紳士なのでイメージが良く、
しばしば下品な罵声を飛ばしがちな保守陣営にとっては、かなりの強敵です。
また、この集会には所功氏も参加されていました。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E6%B2%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9

>明治に入ると、教育勅語などを通じて国民に天皇及び国家への忠誠を求める一方で、
>天皇がそれに相応しい「聖徳」の持ち主であることが盛んに喧伝するようになった。

>今日では人民を政治的客体とみる愚民観を含んだこうした徳治主義的な考えは一歩退いた形となっているが、
>政治家は勿論のこと、個々の国民が主権者としてあるいは1社会人として
>一定の道徳観・倫理観を必要とされている点を否定したものではないことは言うまでもない。


>今日では人民を政治的客体とみる愚民観を含んだこうした徳治主義的な考えは一歩退いた形となっているが、


明治以降、たまたま徳の高い天皇が続けて現れた為(大正以外)、
主に宗教系の人は勘違いしやすいところですが、
御聖徳は皇位継承の為の必須条件ではありません。
125代全ての歴代天皇が全員、明治帝昭和帝と同等の御聖徳を発揮され、
歴史上に功績を残された訳ではありません。


つまり、皇位に聖徳を抱き合わせる女系族の考え方は、国民を見下した大変傲慢な考え方なのです。