『伝統と誇りある日本 男系皇統維持は歴史的責務』に、行きました。

(2月11日(金・祝)13:30〜、鶴岡八幡宮
(第3部 記念講演 講師:新田均氏(皇學館大学教授))



最後に、現状における皇室論の総まとめ、結論のようなことを言われたので、それを載せます。
(書き取りなので実際の発言とは多少違います)

「どうして男系で続いてきたのか?究極のところの意味はわからない。
先祖が繰り返してきた行為の中には、その時々の人間の知性では理解出来ない、深い考えがある。
それを謙虚に理解して、よほどの問題がない限り、続ける、というのが保守主義の考え方。
皇統を科学的に解明することは難しい」



私は自説の「動物学論」「戦闘組織論」「原初的な役割分担論」には、かなり自信を持っています。

(例えば現在でも、女性がホームレスとして単独で生きていくことは、男性より遥かに困難である。
<だから女性は生存の為に家に入る必要がある>、という事実がある。
現在女権論者が好き勝手なことを言っていられるのは、
何も考えなくても治安の良い先進国で平和と安全を享受出来ている、という時代背景が原因。
全世界が無秩序になり「北斗の拳」のような状態になれば、フェミニズムは自動的に消滅する)


が、具体的な証拠は何も無いので、断定は出来ません。
結局、皇統を巡る論争は、その論拠である神話の起源を突き詰めていくと、
誰が何を言おうと、全て推測の域を出ないのです。

そこで、昔の偉い学者先生がこう言ったとか、
神皇正統記ではこうだとか、記紀の記述はこうだ、という風に、
「文献という名の権威」を使うことで、自説の正当性を補強するしかない。


が、実のところ、それらは全て、「途中経過を記した文章」に過ぎません。
もっとも、「途中経過の文章」の解釈の問題に細密に取り組まれた新田先生達の功績は、
勿論無駄ではありません。
相手の土俵の上での最低限の反撃は、生存の為の正当防衛には不可欠だからです。

現在まで、男系派の主張の全ては、女系派への反撃という形になっています。
最初に女系派が、文献という瑣末な部分を使って攻撃を仕掛けてきたので、
男系派は、文献という(敵が設定した)土俵の上で戦わざるを得なかったのです。

ですから、膨大に見える論戦の殆どは、左翼による言いがかりに対する、
同じ土俵の上での最低限の反撃に他ならない。
言わば生存のめの正当防衛で、不可欠なことですが、その先の道が示されていません。
「男系派としての主体的な主張」は、そこには殆どありませんでした。

が、今回の新田先生の言葉には、主体的な主張が出ています。



文字が発明される遥か昔から、気の遠くなるほどの長い年月の間、
何世代にも渡って伝えられて来た無数の古代人達の知恵が、神話や伝統には結実しています。
記紀が編纂されてからは、まだたったの1300年です。
神話はその何倍もの時間をかけて熟成されたのですから、
関わった人数も桁違いになるでしょう。


そうした膨大な人々の知恵を、たかだか数人の現代人の浅知恵で全てを解ったつもりになって、
長く続けていたものを突然止めたり、歴史解釈を捻じ曲げたりすることは、
単なる悪事ではなく、物凄く恐ろしい所業である、と言えます。
何故なら、一時の感情で破壊工作を行っている人は、
過去の全ての先祖と、これから生まれてくる全ての子孫に対して、
巨大な犯罪を冒していることになるからです。


あるいは、いつの日か全ての謎が解明されて、真実が白日の下になる日が来るかもしれません。
しかしそれは、確率で言えば、人類が宇宙の果てに到達するとか、
時間旅行が出来るようになる確率と同じではないでしょうか。

神話の形成に関わった無数の古代人と現代に生きる我々の知恵の力の差は、
関わった人数的に言っても、
「千人の吉田松陰」vs「小林よしのり一人」
ぐらいはあるのではないかと思うのです。
もちろん後者が我々です。あくまで喩え話ですが。