ランティスとSMEの「音圧至上主義」は、いつ破綻するのか

昨年末、ランティスの特番が放送されました。

少人数で立ち上げられた音楽会社は現在、バンダイグループの旗頭として、
アニメ界で圧倒的な力を持っています。

ランティスの原動力は、徹底した「音圧」と、ライブを主軸にした楽曲制作にあります。
元々「音圧至上主義」は、ソニーミュージックが流布させて広めた代物です。
が、ランティスの作品はSMEを超えた、120%ぐらいの音圧で作られている。
もちろんその分だけ音は割れて聴くに堪えない代物になりますが、
TVアニメでの「キャッチーさ」や、ライブでの乗りは、圧倒的にSMEに勝っています。

現在、アニメ用に限らず、ほぼ全ての音楽が、音圧至上主義の下で作られており、
ゼロ年代にはそれが頂点に達しました。例えばPerfume中田ヤスタカも、音圧至上主義の極北です。



音圧至上主義が蔓延した原因は、音楽の用途の変化にあります。
音楽が純粋な娯楽だった時代は1980年代前半までで、その後、
他の分野との「協力」によって変質して行きました。
ドラマやアニメなどの「テレビ番組」とのタイアップが、音圧重視の流れを作った。

TVのスピーカーから音楽を流す場合、
普通にダイナミックレンジを広く取って作ってしまうと、貧相に聴こえてしまう。
例えば、クラシックのようなダイナミックレンジの広い音楽は、音量の小さい部分や繊細な箇所は聴きにくく、
日常のテレビ視聴の中では貧相に聴こえます。

TVメディア上の音楽は、常に平坦かつ最高の音量をキープしなければならない。
1990年代以降の商業音楽は、、限りのある音量の中で目立つため、聴き易くするため、音圧を高めて
「常に一定の最高の音量が保たれる状態」になる方向に進化を続けました。



従って、テレビの特性や商売上の必要性に合わせた楽曲作りをしている限り、
音楽の質が上がることはありません。

音圧よりダイナミックレンジを重視出来る、敷居の低いリスニング環境の確立と普及、
現在のテレビ視聴依存体制からの脱却、あるいは住環境の劇的な変化
周囲の音量がゼロに近くなり、視聴者が自由に音量を出せる環境が増えること
(防音技術の発展等が必要)……といった「変化」の波が来た時に、再び音楽は変わるでしょう。
最近アホのソニーはただハイレゾ音源を闇雲に作って売っているようですが、
再生機器がウォークマンとヘッドホンのままでは、絶滅寸前の音楽マニアが少し買って終わりです。
インフラやリスニング環境を含めた新たなリスニングスタイルの提示に至る道はまだ遠い。



だがここに来て、状況が少し変わり始めました。
HMVが渋谷にアナログレコード店を開店したのです。

音圧至上主義による音割れや、圧力の強い音楽に「耳疲れ」を起こしたリスナーが、
過去の素朴な、音圧が貧相でも耳当たりが良く優しい音楽を求めるようになったのではないでしょうか。


音楽にとって最も重要なものは、静寂です。
静寂は、耳を休める時間。
静謐の中から音が出てきて、再び静謐に還って行く。
その様は、カオスの中から生命が生まれ出でて、再び無限のプールの中へ還って行く、
生命の営みに似ています。



ランティスのマスタリング能力の低さには、最近批判の声が上がっています。
筆者の知る限りでは、現在最も潰れた悪い音を供給している音楽メーカーは、
バンダイグループのランティスです。

「大企業のエゴイズムとTVモニターの都合」という呪縛から、「音楽」が再び解放されるのは、いつの日か。