つくる会内紛――肩書きを並べて権威付けを図っている、福地惇教授の駄文。

http://nishiokanji.com/blog/2006/05/post_322.html

種子島・八木両氏の「捨て台詞」を追撃する』等と、勇ましい題名の割には、中身が伴っていません。
創作的なレトリックや、推測を事実と混同している部分が多く、客観性に欠ける文章です。

その上、内容の殆どの部分は、既に、新田教授の供述で論破されています。
(例えば、八木会長が変節した理由は、システム崩壊がデマという事実を知ったから)



一連の西尾氏の告発を、山崎行太郎先生が「文学的」と表現されましたが、
これは深い一言で、必ずしも良い意味を示している、とは解釈出来ません。

娯楽小説的に歴史を創作する韓国人の悪癖に似ている、という、負の意味にも取れるからです。



今もっとも必要なことは、「公正さ」「証拠性」であり、それには、裁判のようなドライさが不可欠です。

が、西尾氏や福地教授は、文学的なレトリックを多用して、真実の隠蔽に走っているように見える。
歴史教科書とは逆に、余計な装飾は全て省いて、事実関係だけを、簡潔にまとめるべきです。



何故なら、若いネット保守が、思想の左右に関係無く嫌悪する物は、「嘘」や「欺瞞」だからです。



西尾幹二=欺瞞家』という烙印が定着しないことを祈ります。