つくる会内紛――福地惇教授が、みじめな「アジの上塗り」。

http://nishiokanji.com/blog/2006/05/post_322.html
まるで、一行ごとに切り刻んでくれと言わんばかりの「名文」です。しっかり保存させて頂きました。
呆れるのを通り越して、感服しました。少し時間を使いましょう。



>このこと自体が会の統制違反である。
統制とは穏やかで無い。氏は「統制派」でしょうか。

>ところで、私が思うには、(中略)

>必死になって責任転嫁の詭弁を弄して、世間を更に欺こう、瞞着しようともがいているのだ。
>「盗人にも三分の理あり」である。

>彼らの独善性の体質、世人を瞞着することを恥じない体質を端無くも曝け出した文章である。
>世間に公表を憚られる程の恥知らずな文章なのだが、

↑「恥知らず」とは、福地教授のアジのことです。



>もし、宮崎事務局長問題に関しては、宮崎氏が執行部諸氏の信義に反する
>「のらくらした態度」に問題があったのであり、
>当時の名誉会長や八木会長以下4副会長がそれに振り回されたのが事実だ。

内容も、抽象的過ぎます。
若し「個人的な好みでバサバサ首を切る独善体質」ということならば、ソニーの馬鹿人事と同じです。

能力的な問題で無ければ、人の雇用は大事に行わなければなりません。
他人の人生を弄ぶ権利は、西尾氏にも藤岡教授にも、ありません。



>だから、松浦氏の罵倒は、理事諸氏に対する大変重大な侮辱である。馬鹿も休み休みに言え。

話し言葉をアップロードして来るとは、かなりの余裕の無さが伺えます。
これでは、福地教授御自身で「私はエキセントリックな老人だ」と、全世界に向けて叫ばれているも同じです。



>①と甲乙付け難い甚だしく無様な思い込みによる卑怯な文章だ。
>思い込みと独断による悪罵の吐き散らしは、この辞表文全体の特色である。
>新田氏は「名文」だと誉めそやすが、迚も褒めることはできない悪文である。

↑このような悪罵の吐き散らしは、この文章全体の特色です。


このエントリーで、福地惇教授なる人物が、かなり痛い方であることが、確定してしまいました。
どう見ても、孤独に弱いお年寄り達が、傷を舐め合っているようにしか見えません。

こんなアジ演説を書かずに、
御自身の視点で、一切の罵倒語を使わず、事実関係を坦々と述べれば良かったのです。



福地教授のソースは全て藤岡教授で、藤岡教授が完全に正しい、ということを前提に論じられています。
これは、大変な誤りです。

何より、新田教授の説明された経緯に対する真っ当な反論が、一つもありません。
当然、松浦教授の文章にも美化や脚色はあるでしょうが、福地教授の文章のレベルが低過ぎます。


これでは福地教授が、出来の悪い藤岡GKにしか見えません。
お茶でも飲んで、少し落ち着いてから書いた方が良かったと思われます。


考えてみれば、企業家という、「外の世界」を見て来た経験のある種子島氏の方が、
閉鎖的な世界の学者先生よりも、人間として「まとも」であろうことは、容易に想像出来るはずでした。


大人しく執筆だけしていれば御名を損ねることは無かったのに、残念なことです。



但し、怪文書回りについては、新田教授の言い訳が全然無いことが、気になります。
知っていて故意に隠しているのか、あるいは何も知らないのか。
私は後者だと思います。
何故なら、四理事は田舎に散っているので、物理的に策謀を行うことが出来ないからです。


むしろ組織的に動けるのは、首都圏在住の藤岡教授と配下の人々、つくる会東京支部の方々です。


藤岡派が権力基盤を固めれば、鈴木事務局長への追求も無くなる。
が、今回の件で、左翼達に、つくる会攻撃のアキレス腱を握られてしまう。
このままでは、採択戦の最中に、小心者である藤岡信勝会長が一斉攻撃を浴びて破滅することは確実です。
全ての膿は、今出すべきです。



>「外野応援団」は藤岡本人、みんなわかってます。文体同じなんだから、バレバレなんだよ。ご苦労さん。

>「外野応援団」は以前「知りたがり」の名前を使っていた人でしょうか?
>少なくとも外野の応援席ではなく、グラウンドでプレーしている人です。
>もしかしたら監督さんかオーナーさんかも。

↑万一これが事実だと、一番悪いのは藤岡信勝次期会長となります。
「外野応援団」氏は最近も、中共陰謀論を垂れ流しました。
自作ビラの解説だとすれば、あれだけ流暢なことも頷けます。


西尾幹二氏と藤岡信勝氏は、一刻も早く全ての真実を語って、謝罪すべきです。
謝罪さえすれば、和解出来ます。わだかまりが消えて、皆が、新しい戦いに臨めるはずです。



晩節を汚されることの無いよう、両氏の英断に期待します。