特権意識

運動が先細りになるパターンとして、
先鋭化した運動団体が、特権意識に凝り固まった挙句に新参者の参入を排除する、
という傾向があります。
その結果、裾野が広がらず、参加者が増えずに、運動自体が衰えて行くのです。


例えば、AMIの場合は、
児童ポルノ法案に反対する権利は我々だけにある。MIAU瀬戸弘幸氏には無い」
といった感じです。


これを言い換えると
「自虐的でない歴史教科書を作る権利は「つくる会」だけにある。八木再生機構には無い」
となります。


また、政治運動とは違いますが、
「スイーツ層向けのパーティーゲームミニゲームは、ブームが去って廃れる。
ゲームらしいゲームが必ず復権する(何がゲームであるかを定義する権利は我々だけにある)」
といった主張も、上記に類するものです。


運動の裾野が広がると、より優秀な人材が外部からやってきて、
自分達の「地位」が相対的に下がり、アイデンティティが失われるかもしれない。
その嫉妬と恐怖心が、人を狂気に走らせるのです。

恐らく、内ゲバというものは常に、利己心から発生するものなのでしょう。