太田雅彦監督のインタビュー記事と雑感

>百合のシーンがあったとしても、スパイス的な感じだったので、
>「これなら放送も出来そうだな」と、
>千歳の妄想なんかは、ほとんどギャグとして解釈出来る内容

同性愛ネタの雑誌を売らなければならない一迅社とは、明らかに温度差があります。



>とにかくテンポよく、楽しく

>セリフで無駄な間合いを持たせない、
>無駄なカットを入れない、
>意味のないカット割りをしない

もし『日常』が濃密かつテンポの良い1クール作品として大ヒットしていれば、
円盤資金は『日常』へと流れ、『ゆるゆり』の成功は無かった可能性もあります。
『日常』の失敗は今年最大の惨事で、それだけに惜しい。



○「ひまさく」について

アニメで初見の人にアピールするには「動きの多い」「面白い」話が必要になります。
そのため、分かりやすく笑いを取れる京子の出番が多くなり、必然的に2年生の出番が増えた。
1年生メインの話が原作には多く残っていますが、内容が小粒なので、
アニメとしては盛り上がりに欠けるものになるでしょう。
要するに、櫻子と京子ではキャラクターとしての力の差があった。



○「ちなつはガチレズ」なのか?

これは違うと思います。ちなつは結衣を、単純に男性の代わりとして
(京子から自分を守るナイトとして)見ているに過ぎないのではないか。
若し作中の時間が動いて、ちなつが相応しい男性キャラと出会ったら、普通に恋愛をすると思います。
(こうした解釈を、百合原理主義者達は狂ったように否定したがるでしょうが)



○5話に対する百合オタの曲解

5話はAパートのコムケの話が、現実のコミケ直前の時期に放送された為、萌えオタに受けた。
これを百合オタは曲解し、Bパートの功績であると宣伝し続けています。