男子を立てて降臨させた天照大神


日本の多神教文明の核である「神話に集約された男女観」、特に重要なのは2箇所です。
一つはもちろん、イザナギイザナミ

もう一つは、天孫降臨です。
天照大神が、孫であるニニギノ尊を地上に降臨させる、というエピソードは、
「日本的な家族社会が、母親と息子の繋がりによって形成されている」ことを意味しています。
(上記の場合は孫ですが)

「天照の送り出した息子達」が男系の皇統に繋がり、
先天的性差に基づく本質的な男女平等と正しい役割分担意識の象徴となっているのです。


これが若し、一神教の教典であれば、天照大神唯一神となって自ら降臨し民衆に説教でも垂れる所でしょう。
が、そうなってはいません。

日本的な日本の家族では、「家庭の中」の「形而上的な権力」を母親や祖母が掌握しているから、
俗世の権利は男性が代々受け継ぐ。それでバランスが取れていました。

一神教の世界では、男女を問わず、人は皆、生存競争で殺しあう「個人」ですから、
家庭や家族は、単なる刹那的な利益共同体に過ぎない。
民族性と歴史を共有し過去と未来を繋げる日本の家族とは、全く意味が違います。


最近は、アニメなどの娯楽コンテンツの元ネタに、日本神話が良く使われるようになりました。
が、そのほぼ全てが、天照大神を「一神教絶対神」であるかのように定義付けていて、
結果として女権拡大の主張に悪用されています。