「信仰」は、誰でも持っているものです。特別なことでは無い。

http://anti-cult.seesaa.net/article/23136746.html

「信仰=宗教=カルト」と短絡的に結び付けている、視野狭窄の見本のような文章です。
岩田氏のブログが比較的無難な内容であることに比べて、落差が大きい。



別冊正論3の松浦先生の記事が手元にあるので、少し書いてみましょう。


>松浦光修氏は、あくまでも人は永遠に天のもとにある。
>なんとも、明白な話ではないか。なぜ、近代の知性はそんな明白な事実に抗いつづけているのか、


ここで言われている天とは、「人智を超越した、あらゆる存在」のことです。
特定の宗教やカルトのことでは、ありません。
例えば、先祖を敬うことや、ワーズワースのように自然の美しさを愛することも、その1つです。

共産主義から来る唯物史観が招いた「心の荒野」を無くす為には、
そうした「潤い」、自然主義、ロマンティシズムが必要だということです。


「困った時の神頼み」「人事を尽くして天命を待つ」といった言葉もあるように、
理屈だけでは割り切れないことが、この世の中には、沢山あります。
例えば、異性を好きになることも、そうした「信仰」の1つの表れです。


そうした人生経験が皆無に近いであろうことが、早瀬氏の一文から、見て取れます。


http://www.studio206.net/0209diary.htm
>私は宗教とか神を信じることはない。しかし、絶対的な存在があるかもしれないと思っている。
>人生長く生きてくると常識などでは計り知れない事が起きるからだ。



ついでに、松浦先生は、皇學館大學から皇學館の大学院に進学されています。
大学時代に、御自身で政治サークルを作られていたそうです(『夜の神々』参照)。
つまり、学生時代は、ずっと三重にいらした訳です。
その後は、兵庫の高校で4年間教鞭を執ってから、母校の皇學館へ戻って、今年教授になられました。

早稲田の地下室とは無縁ですね(^^)



蛇足になりますが、蘭氏が書かれたので、一応私も書いておきます。
確かに、蘭氏と私は、松浦先生から、サインと素晴らしい俳句の記された著書を頂きました。
内紛関係の他の先生方の本も読みかじっていますが、
私には、松浦先生の文章が、一番肌に合うようです。

この一事を以て「プロ右翼と繋がりがある」等と言われたら、「私は神社保守だ。全然悪く無い」
と、開き直って堂々と宣言するでしょう。

私には「右も左も、あります」。
が、現時点では、保守団体の雑誌を1つも講読していないことも、事実です。