つくる会内紛――「SAPIO 7月12日号」を読んだ。

竹島の侵略状況が克明に描かれていました。
不法占拠している韓国人達を、一刻も早く武力で排除しなければ、『領土が侵略される』。
そういう活動や陳情は、行えないものでしょうか。

例えば、日本人の集団が数名で竹島に渡って、敵と交戦して双方に死者が出たとします。
そうでもしないと、領土を奪還する国民世論は、永遠に形成出来ないのでしょうか。



八木秀次先生の記事は、西尾先生の捏造歪曲記事に、簡潔に反論したものでした。
内容は理に叶っていますが、アンチ八木の人々は、
「みみっちい」「つまらない」等と言う、穿った見方しか出来ないことでしょう。


但し、最後の段落、特に、

「内容は十分に名誉毀損に当たるが、掲載した本誌の責任も重い。
担当副編集長が私に「個人的には大変申し訳ないと思う」と謝罪したことを付言する」

という一文は、非常に重いです。
本件が、言論闘争や思想闘争では無く、西尾氏の虚偽に対する私設裁判であることを示しています。
裁判官は、騒動を見物している人々の全てです。



勝岡寛次氏の記事は、内紛の経緯や本質にも言及されているので、最初に読むにはお勧めです。
理事に成り立ての勝岡氏も、最初は西尾先生の言を鵜呑みにしていましたが、
事務局員の方々と直接話をしてから、事務局員の気持ちを知らなかった西尾先生に疑問を持つようになった、
とのことです。


「総括の結果、責任を取って宮崎氏が辞める分には、私は何の反対もしない。
ただ、きちんとした運動の総括をすることもなく、トカゲの尻尾切りのように
事務局長を更迭するのは筋が通らない」

という言葉に、勝岡氏の立場が凝縮されています。
勝岡氏は宮崎氏自体を擁護したのでは無く、「独裁的な更迭の手法」に反対したのです。


これは、昨年郵政民営化法案の時に、「小泉の独裁的な手法」に反対した、
平沼赳夫議員を始めとする、自民党日本会議系の議員達と同じパターンです。
同じ方法で人権擁護法案を通されたら、防ぎようが無かった。

そうした危険性を悟り、身を挺して反対の論陣を張られたのは、誰だったか。
そしてその御方も、知らず知らずのうちに、「ミニ独裁者=ミニ小泉」と化してしまったのではないか。



※ところで、採択戦関連の証言を総合すると、
「『たかが使用人に過ぎない』事務局長の指図で、藤岡先生達が、思うように活動出来なかった」
事になります。

今騒ぐほど重大な事だったら、使用人のたわ言など無視して、上位たる本部長様が好き勝手にやるべきでした。

(採択戦の最中に、宮崎氏が日本会議の名前を使って恫喝した、等という証言は、どこにも無いので)
たかが使用人に縛られた腹いせに、後から更迭論を持ち出してくることは、卑怯極まり無い。

メールで会長に指図出来るほど偉い副会長が、何故採択時に事務局長の言いなりになったのか?


こうした矛盾が、採択戦の責任を事務局長一人に押し付ける誤りを示しています。
結局、これも「後付けの屁理屈」に過ぎないのでしょう。