今日の産経には、コラムが多かった。

やはり、頭一つ抜けているのは西部邁氏の「保守思想の無様な昏睡」でした。
西尾幹二失脚後の保守論壇を支える一壁と言えましょう。


『保守思想は、反社会主義と同一視されてしまった結果、
アメリカ流儀にさらに深く添い寝する始末となった』

『少なくとも経済論にあって、いわゆる保守派は、
個人的自由へのひたすらなる礼賛を続けている』


現在、ネット上のブロガーや浅いネトウヨ達は、反共と保守を混同している人が殆どです。
そういう人達は、国防と嫌韓嫌中感情だけが強く、
スウェーデン個人主義(キャリアウーマン肯定思想)に洗脳されがちで、
結果として、男性の家長と専業主婦を貶め、家庭崩壊に貢献しています。


山谷えり子氏の文章も、女の社会侵略が諸悪の根源であることには言及されず、
むしろ、地域単位での子育てという、家族破壊思想に寄った内容に見えました。


それらの原因を西部氏は、
「戦後保守の担い手である、文学方面の知識人の能力的限界」にあると言われています。

八木秀次氏率いる保守第三世代の有識者達が、
政府(権力)による秩序の設計(押し付け)では無い、
歴史の長い経緯を通じて醸成され来たる「自主的秩序」を、
現代の日本社会に再生し定着することが出来るか否かが、
GHQの洗脳から脱却出来るかどうかの分かれ目になります。


八木先生の文章も、とても為になる内容ですが、一般人が軽く読むには、とっつきにくい。
それで気付いたのですが、八木先生はパフォーマーには向いていません。
理論派の人には、娯楽文学的な要素が必要なバフォーマンスは向いていないと思われます。
この点では新田先生も同じで、対照的に、松浦先生はパフォーマンスに向いています。
松浦先生の感性が投影された短文は、さながらスナック菓子を口に運ぶように気軽に読めるからです。