マサコビッチとつぐビッチ――専門家・斎藤吉久氏が、門外漢・西尾幹二氏に反論

斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.41

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 1 西尾幹二先生の御忠言を読む
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http://www.melma.com/backnumber_158883/


>なるほど皇位の継承は世襲であって、能力主義とは無縁ですが、
>近代ヨーロッパの文化を率先して受容してきたのが日本の皇室なのでした。
>古来、異なる多様な文化を積極的に受容し、統合してきたのが皇室の伝統です。

>西尾先生は「皇室は原理を異にしている」ということを強調しすぎるように私には見えます。

> 天皇の制度は英明な天皇ばかりが例外的に続いたから、
>古来、世界史にまれなほど長期にわたって継承されてきたのではありません。


中世以降は、皇統にもある程度の英明さが求められるようになったのではないか。
江戸時代から明治にかけての、祭祀や朝廷の復興の流れには、
儒教的な道徳の介在(儒教の部分引用)が不可欠だったのではないでしょうか。

以前に「つぐビッチ」問題がありましたが、
高度情報化が進んだ現代では、暗愚な国王が続けば、王朝廃絶の好餌とされ、
知識人に攻撃を受けます。そして大多数の国民は知識人を支持するでしょう。

妃殿下の役割(「下船」以外の可能性)は、他の皇族や指導者と同じく、
心を入れ替え伝統を守り、倫理道徳を学び身持ちをしっかりとしておくことだと思います。
「つぐビッチ」のような姿を見せていると「税金泥棒」との謗りを免れません。


敬神尊皇の精神を若い人に教えるには、ある程度は現代の倫理観に照らし合わせて、
皇族自体が尊敬出来る存在であることが不可欠です。
昭和天皇や今上陛下、美智子妃殿下等も、その人柄故に尊敬されているのです。

それは、親学における親、全日教連が目指す教師像と同じです。
また例えば、代議士の妻には、代議士の妻としての勤めや身持ちが必要です。



たとえいい加減な論文でも、議論のきっかけを作られたという点で、
著名人である西尾幹二先生の功績は小さくないのでしょう。