“赤化”が止まらぬ日本史学会

http://matsumitsu.exblog.jp/4956240/

>応神天皇以前の天皇の実在とその皇統譜については、これを疑う説が少なからず提出されている。
>こうした学説を批判・克服することなく、記紀皇統譜を利用することは、およそ学問的とはいえない

いかにも、唯物思想に洗脳された人が書いた文章、という感じです。


物事には、実証性が重要な場合と、実証性より優先すべき物がある場合があります。
皇統は後者で、かつて西尾幹二氏は「信仰の問題」と形容した。
が、これでは言葉足らずで、良く分かりませんでした。

昔の日本の国に生きてきた先人達は、少々血筋が遠くても、男子男系に拘り続けてきました。
皇統は、血筋の遠い近いよりも、「男子男系で続けること」が、常に最優先にされています。
ですから、
実際の系譜の真偽よりも、男子男系で続けてきた、という「先人達の思い」が優先されます。

男子男系という「先人達の思い」を「受け継いで続けること」で、国が存在してきた。
先人達が信じてきた「男系」を、私達も信じて続けることが、日本の唯一絶対の存在意義です。

この「思い」こそが信仰であり、国体です。
この「思い」の奔流に比べたら、大昔の資料の正確性は、さほど重要ではありません。


或いは、論理性に傾き過ぎている情緒不足の人には、
「自由・平等・人権」といった近代的な共和国以外の、
多くの先人達の口伝による神話(という「コンテンツ」)で形作られたという、国家の成立方法を、
恥じる傾向があるのではないか。


荊木美行氏という人物は、松浦光修先生と同じく、皇學館大學の教授のようです。