ゆるゆりを振り返る

あっという間に2期が終わり、関係者の次の作品もいくつか発表され、
2年越しの夏が終わった感があります。
何故ゆるゆりに拘るのか、他の作品との違いは何なのか。

先ず感じたことは、公式から糞コテまで、痛い人が集まるという印象。
他の作品とは明らかに違う異質なもの、痛い人を引き寄せるオーラがあるとしたら、
その要素の一つは、ロマンティシズムの絶対値の大きさです。

AKB商法の部分的応用やサイン商法といった各種の戦法も、一役買っているかもしれない。
そしてその元締めである、歴史的経緯からか同人と商業の区別がついていない一迅社
正しく「痛人社」、コミュニティの中心に相応しい存在と言えます。



設定やキャラデザ、ネタや内容などは、ほぼ他からの引用で、言ってしまえばパクリの寄せ集めです。
が、そこに、北陸地方の良家出身といわれるなもり氏の作画やセンスといった独自の要素が加わることで、
他には真似の出来ない次元に達している。
大雑把に言うと、「若い女性ならではの質感」が適度に抑制されて内容に反映されることで、
嫌味にならないバランスで完成している。
マリみて」を追従する意識からか、登場キャラが「お嬢様」とは言わないまでも、
全員ある程度の品や節度を持っていて、地方の女子中学生の純朴さが、ある程度表現されている。


アニメオリジナルの脚本の反響が良くない原因として、この「若い女性ならではの質感」
が、内容に含有されていないことが一因と思われます。
あかほりさとる門下の脚本家の方々は、一般的な萌え作品を補う力は十二分に持っているものの、
男性であるが故に、ゆるゆり原作の感性を完全に再現することは、流石に不可能です。
それに対して、原作部分のアニメ化では、女性作家の原作+男性ライターによる脚本化という、
「意図しない共同作業」の効果が出ている。

だからといって、ただ女性の脚本家を使えば良い、などということは、もちろんありません。
良い感性を持っていて自己抑制出来る女性クリエイターは、非常に少ないからです。
構成員に女性の数が多過ぎると、暴走してケバケバしくなる。
逆に少な過ぎると、味気が無くなる。
男性の嗜好や尊厳を損ねない範囲で女性の感性を上手く加えること、そのバランス感覚が、
今後の全ての作品の質の向上に繋がるのではないでしょうか。



同じことは、作画にも言えます。
なもり氏の女性的な質感の線画を、
中島千明氏がアニメのフォーマットに上手く落とし込み、
尾尻進矢氏が「男性視点の女体の質感」を加えることで、
他に類を見ない質感のある絵柄が完成した。
場面によっては、櫻子の脚からも絶妙な色気が出ている。

これほどの作画なら、体のラインさえ綺麗に出ていれば、売る為の局部等の露出は不要です。
特典等で、静止画の一枚絵でのサービスカットがあってもいい、とは思いますが、
動画に乳首を描き込む作業には労力がかかり、しかも粗雑な絵柄になりがちなので、
そうした「ポル産」商法は、あまり効果的とは言えない。



尾尻氏の仕事一覧。萌え度の高いCDジャケットは氏によるもの。
http://www.geocities.jp/precious_tail/profile.html
ピンナップでは、メガミマガジン2012年8月号と娘TYPE2012年11月号のイラストが、
際立って素晴らしい。これで終わりでは惜し過ぎる。



以上を踏まえて、ゆるゆりに最も近い作風の作品は何だろうか。
答えは、人によって違うでしょう。

淡い百合描写に注目して「Aチャンネル」と言う人もいれば、
長く続けたいから「ひだまりスケッチ
あるいは「まどかマギカ
と答える人もいるでしょう。
苺ましまろのパクリ」と主張する人もいるでしょう。

私の解釈は、そのいずれとも違います。
ゆるゆりに最も近い作品は「日常」けいおん」であり、
作画レベルで最も近いセンスを持っているのは「京都アニメーション」です。
それは単に、結衣が澪を改良進化させたキャラクターであることに留まらない。
今期で言えば、「氷菓」の線画は、非常に艶かしく、
女体の持つ普遍的な魅力や質感を、嫌味にならない程度に抑制された女性の感性で表現しています。

次点では、一作毎にクオリティが上がり続けている「P.A.WORKS」でしょうか。
両社とも、やや女性視点に寄り過ぎた作品ばかりなので、今後のバランス調整に期待がかかります。



今期目立った戦術があるとすれば、それは、
「結衣とちなつをくっつけて京子をバラ売りした」ことです。

前期は、結京が目立ち過ぎて、キャラ人気が偏った。
それが災いして、本来アタッカーとしてグッズ販売が期待されたあかりの人気が伸びなかった。

今期は、結衣にちなつを押し付け犠牲にすることで、
あかりだけでなく京子も単独のアタッカーとしてグッズ販売の主力に据えたのでしょう。
丁度、2期用の原作の内容にも合っています。

だが、またも策は失敗した。

京子というキャラは、他のキャラと組み合わせることによって初めて活きてくるキャラだからです。
単品で売ると貧相な二流キャラに過ぎず、その真の力を引き出すことは出来ない。

よってベストな販売方法は、
京子とちなつを組み合わせ、あかりと結衣をギャルゲーのように単独で売る、という方法になります。



最後にもう一つ、本作を語る上で不可欠な要素は「ニコ生」の力です。

声優とキャラクターを同一視させる、ギャルゲー全盛期からの定番商法「ドル売り」に留まらず、
お笑い芸人のようにこき使う演出は「革命的」で、
純粋に笑える面白さでは、アニメ本編より上だったかもしれません。

この偉業には、台本を書いて指示を出した公式の中の人のキャラクターが不可欠で、
キレた芸風で声優達を叱咤する姿は、さながら調教師のようでした。
こうした、若い女性声優への容赦無い振りは、男性には出来ない技で、同性で無ければ出来ません。

イジメコネクト事件の起きた昨今、こうした芸風がどこまで許されるのか微妙ですが、
個人的には「センシティヴな視聴者がちょっと心配になるぐらい」のバランスが、一番良いと思います。
全盛期のゆるゆりを超えるニコ生が今後出てくることは無いだろうし、当人達にも実現不可能でしょう。
期間限定の天才的なパフォーマンスに立ち会えた人間は、それだけで幸運だったのかもしれません。