つくる会内紛――西尾式ソースロンダリングが本質を隠した


事ここに至ったので、八木・新田先生側の、僅かばかりの齟齬についての私見を、記してみます。


例えば、八木訪中問題について、八木先生の側の脇が若干甘かったことは、否定出来ません。
が、冷静に考えてみれば、せいぜい、一度陳謝する程度で済ませるべき問題であることも、確かです。

そうした些少な問題を、内紛と結び付けて大きく取り上げて騒いだ結果、
中共工作員」呼ばわりするなど、さながら絶対悪であるかのような印象操作を行った。

この「呪い仲間」の所業が、却って個々の事態の本質をぼやけさせてしまい、
正しい判断が出来ない方向に、皆を誘導してしまいました。


若し、宣伝を伴った激しい糾弾では無く、一会議中での注意に留めていれば、
八木先生も「軽率だった」と陳謝して、その場で終わっていたと思います。

が、内紛の補強材にして、全人格を否定されるかのように宣伝されたので、
一歩も引かずに反発せざるを得なかったのでは、ないでしょうか。


このように、西尾幹二先生流のソースロンダリングと広報活動が、事態をめちゃめちゃにした、
ということは、新田先生等の人々によって、既に指摘されています。


他の件も同じです。
教科書改訂、採択戦の責任、コンピューター、四理事、怪文書……
終わってみれば、全部、大した問題では無かったのです。



↓蘭氏が捉えていた本質

>西尾先生は、「天才」なんだよ。
>左翼的テーマで、真っ当な大論文をこしらえることも出来るし、
>私が鼻くそをほじっていたとして、その一事をもってして、
>私の全人格否定の文さえこしらえることが出来る。
>かような文章の超能力を持っているんだよ。


この天才的な文章力で、西尾先生は些事を拡大し、個人や団体を誹謗した。
それに合わせて、「呪い仲間」の他の人々も蠢動した。

が、言論人生命が終わった人もいなければ、自殺者もいません。


ただ、悪口の足跡だけが、最後に残りました。

ネット上では、てっく氏や山崎氏等が、「呪い仲間」に恥じない、見事な足跡を残してしまいました。
その点だけは、大将たる西尾先生に劣らぬ逸材と言えます。



かくして、内紛の終了と共に西尾文学の魔術は破れ、人々は我に返る。
プロスペローは故郷に戻って隠棲したが、保守論壇の大魔術師はどうか。