信仰について――はじめに


「信仰」という言葉は、松浦光修先生の著書や講演録に、度々出てきます。

以下、私なりに、分かりやすい解釈を試みてみますが
もしかしたら、若干違う方向に傾く可能性もあります。


「信仰」とは、特定の宗教を指しません。
「情緒」「ロマン主義」「愛」「宗教的涵養」……
あるいは「思いの力」と置き換えることが出来ます。

人知を超えた存在を信じて敬意を払う、ということです。


以下、私が某所に投稿した文章を、若干修正して載せます。
(半分パクリのような内容ですが御容赦ください)



私は、法律や哲学を神聖視する人には、懐疑的です。
「哲学は神学の侍女」という言葉通り、神学が最高位にあると考えています。
日本で言えば、(日本の国体に当たる)神道や皇統です。

他の言葉で言い換えると
「情緒」「ロマン主義」「愛」「信仰」「宗教的涵養」といった感じです。
何かを信じる心、信じる気持ち、思いの強さです。

現代社会には、この「情緒」の部分が欠けている人が、非常に多い。



ある人物が、どれほど立派な理屈を、口で言ったとしても、
自分の言葉を心から信じていない限り、全く意味はありません。

これは、大して難しいことではなく、具体的には、
漠然と感じた素朴な気持ちや不満を、遠慮したり覆い隠すことなく、
はっきりと意識して、大事にすることです。

頭で考えている理屈と同じかそれ以上に、
「心から出ている本音の声」に重きを置くことが大切です。


理屈を超えた情緒や人の気持ち、思いの力、といったものによって、
常に英雄が作られ、歴史が動いてきました。

理屈も大切ですが、それだけでは敵には勝てません。

現行憲法や法律、合理性、自由主義といった、戦後価値観の枠に囚われずに、
自分自身の思想を構築して新しい法を打ち立てる、
ぐらいの、強い意志の力、思いの力が重要です。

単純に、法廷で負けそうとか憲法がどうだ等という理屈だけで無く、
男性の「心理的圧迫感」「苦しい」という「思い」を集めて力として、
啓蒙活動、国民運動からの法制化を目指す、という方向からの反撃も必要です。



フェミニストの側は、この、グレーゾーンである「情緒」の領域をフルに利用して、
勢力を強化しています。

「男は女に優しくしなければならない」という不文律を悪用して、
男性の持っていた権利を、次々と奪っている。
それにも関わらず、男性に義務だけを押し付け続けています。

どんな問題でも、最終的には、
「絶対に勝つぞ」「絶対に正しい」という信念や
「思いの強さ」で勝敗が決まるでしょう。


民意も法律も、永久不変のものではなく、時代や煽動で幾らでも変わります。
私達は、後世に続く男性達の為に、現在の男性不利な風潮を、
少しずつ啓蒙して改めて行かねばなりません。

そしてそれは、
「全てを疑ってかかること」
「自分の信じるものが何なのかを、はっきりと知ること」
から始まります。



※続くかどうかは分かりません。