『【新訳】講孟余話』に見る、吉田松陰の家族観

(『【新訳】講孟余話 吉田松陰、かく語りき(松浦光修編訳)』)


松陰は、一部の分野ではありますが、非常に短期間で極められています。
その中から専門分野に近い一部だけ取り上げてみます。



体罰で「徳」は育たない――「第六章 教育を語る」より

松陰は、教育の本質について、涵育薫陶(かんいくくんとう)という言葉を使い、
様々な人の美徳の中に「ひたし」て、時間をかけて、自然に感化していくことである……と説いています。



併せて、松浦教授共々、体罰については否定的です。
曰く「縄で縛り上げて杖で叩いても、すぐには“徳”のある人には変わらない」
保守陣営に属する者として、体罰を真っ向から否定する論者は珍しい、と感じました。

が、これは完全な正論です。

子供は想像以上に、大人を恐れて生きています(少なくとも学生時代の私はそうでした)。
そこに体罰という形の恫喝を加えると、多くの場合、心に取り返しの付かない傷を付けてしまう。
実例を調べて集めれば、親学の失敗法則の一覧に載せられる項目だと確信します。
また、松陰は、座禅を組ませることはあったといいます。
私は座禅で成功した実例も知っています。その男は、ここを見ているかもしれません。



②千代への手紙


付章として収録された、「士規七則」「千代にあてた手紙」には、男女観が簡潔に記されています。
戦前の高等女学校では、しばしば教材として活用されたそうです。

その「千代への手紙」の前文から抜粋。


「多くの場合、男子は父親の教えを受ける。女子は母親の教えを受ける」
「十歳以下は、男女とも、母の教えを受ける部分が、とりわけ多い」
「父は、大体におして厳しい 母は、大体において慕わしい」

「子供の教育は“母の教え”によるところが大きい」
「言葉ではなく、“正しい行い”によって、子供の心に直接感じさせる」

「胎教は大切」
「母の立ち居振る舞いが、胎児に影響する」
「母の行いが正しければ、子供が自然に、自分の力で、正しいことを正しいと感じ取れるようになる」

「氏より育ち」(血統や家柄より生育環境の方が、人間形成に大きく影響する)



極めて短い文章で、親学の本質を突いています。
遺伝子よりも生育環境の影響が大きいことも、近年証明されつつあります。
少なくとも20代の頃の私は、ここまでの真理に辿り着いていませんでした。松陰は凄い。



続いて「女規三則」


「一 夫を敬い、舅・姑に仕えること。代々の先祖を敬うこと」


差別だなどと言う人もいるでしょうが筋違い。家族の利害は一体なのだから、
夫や舅との関係が良ければ家庭は上手く行き、自分の利益にもなる。
また、時が経てば自分が姑になる。

代々の先祖を敬うことは「家、家系、家の系譜」の継続繁栄の為に不可欠で、これは男女に関係無い。
が、一部のイデオロギー保持者や個人主義者は、こうした家族や祖先との繋がりを破壊しようとしています。


「註 特に女性は、嫁いだ先のご先祖様も大切にしなければならない。
入った家のご先祖様がどういう人だったかを覚えて、子供たちに語り聞かせる」


当時も入り婿はいたので、これも男女共に該当します。



「一 神様を尊ぶ ただし、自分のことをお願いはしない。
仏は信仰するには及ばない ただし、わざと悪口を言うことも“いらめこと”」


これも性別は問わない保守の基本です。神社で祈ることは祖先や神々への感謝、あるいは、
世界平和や国家の繁栄……といった公的なものです。



「一 従兄弟は兄弟の次に大切」


「先祖を尊ぶこと」
「神様を崇めること」
「親族は仲良く暮らすこと」

「父母の行いが重要。子供が少し成長したら、先の三点を基準にした物語を話して聞かせる」



「幕末男子」が育つには、少なくとも上記のような環境の形成が不可欠です。
幕末当時の環境や、先人達の作っていた空気や雰囲気が、松陰や志士達を薫化し育てたのです。



ところで、大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公は四女の文で、
上記の千代は長女ですが、ドラマには登場していません。
文を主役にすることで、幕末史を女権主義的に歪曲捏造する目的である、とも言われています。
文は松陰の13歳下なので、松陰が刑死した時には16歳……
ドラマでの過大評価は酷過ぎるように思えます。
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