『【新訳】講孟余話 吉田松陰、かく語りき(松浦光修編訳)』

吉田松陰は難しい。

歴史の年表に出ていそうな事蹟は、下田渡海事件と安政の大獄だけ。
だが三十年に満たない短い生涯の中で、膨大な量の学問、読書、執筆を行い、
「先生」として維新の元勲を育てた。
そして驚くほどの無私の姿勢、全てを達観した高い精神性……

俗な言葉を使えば、松陰は誰にも真似の出来ない稀有な天才なので、
私のような凡人には、理解することさえ難しい。

同時代の門人や編訳者が「頭がジンジンする」ほどの松陰の言葉は、
原文の約10分の1の量で、現代語訳によって相当平易になったにも関わらず、
現代人にとっては難しく、耳に痛い内容となっている。
心身を正す為には、それぐらい強い言葉の方が効きが良い。

その骨子は、
人が学問をするのは、正しい生き方(「道」)を知る為であり、
保身や私利私欲や承認欲求に傾いた者は、必ず道を外れる、といったものである。

「松陰の言葉」という遺産から学んで活かせるかは、今を生きる我々にかかっている。
遺産を受け継いだ我々も、何らかの遺産を子孫に遺さなければならない。
幕末の専門家・松浦教授による「現代語訳」は、子孫に遺す為の遺産の一部でもある。